永井 豪/GO NAGAI
23歳
GO HISTORY
1945年(S20)
9月6日石川県輪島市河井町に永井芳雄・冨士子夫妻の男五人兄弟の四男として生まれる(本名潔)。
1952年(S27)
7月一家そろって上京。
1958年(S33)
2月4日父・芳雄、病没。東京都豊島区立大塚台小学校卒業。
1961年(S36)
豊島区立西巣鴨中学校卒業。
1964年(S39)
都立板橋高校卒業。
1965年(S40)
石森章太郎氏のアシスタントとなる。
1967年(S42)
石森プロ退社、独立する。
ぼくら11月号「目明かしポリ吉」
で漫画界にデビュー。
1968年(S43)
「ハレンチ学園」
が空前のブームとなる。蛭田充がアシスタントとなる。
1969年(S44)
有限会社ダイナミックプロダクション設立。石川賢入社。
1970年(S45)
株式会社ダイナミックプロダクション
設立。
永井豪ファンクラブ設立(初代会長・筒井康隆)。
5-6月
病気のため
ジャンプ6/1,6/8号「ハレンチ学園」
、
マガジン5/17号「キッカイくん」
、
チャンピオン6/3号「あばしり一家」
、
ぼくらマガジン6/23,6/30号「ガクエン退屈男」
、
フレンド5/26,6/2号「こまっチャーム」
休載。
1972年(S47)
1月 週刊少年5誌連載制覇(5週間)。
4月
「マジンガーZ」
連載開始。巨大ロボットと超合金がブームとなる。
6月
「デビルマン」
連載開始。
6月
病気のため
ジャンプ6/12「ハレンチ学園」
、
チャンピオン6/12号「あばしり一家」
休載。
1978年(S53)
SF作家クラブ
加入。漫画家では手塚治虫につぐ2人目。
1980年(S55)
「凄ノ王」
で第4回
講談社漫画賞
受賞。
1982年(S57)
9月26日
結婚
。新婦は肥後純子さん。
自転車事故で骨折。
1995年(H7)
12月、日本SF作家クラブ会長に就任(〜1999)。
1997年(H9)
6月20日、永井豪 デビュー30周年記念パーティが日本SF作家クラブ主催で開催。祝辞は石ノ森章太郎、乾杯の音頭は小松左京、司会は神谷明。
2005年(H17)
4月
大阪芸術大学キャラクター造形学科
教授に就任。
2006年(H18)
11月15日22:08、石川賢、甲府でのゴルフ後のカラオケの席で突然死。享年58歳。
2011年(H23)
1月母:冨士子他界。享年102歳。
11月
体調不良のため「激マン!」7ヵ月休載。
永井豪、かく語りき
いまの大人たちは、子どもが人間だということを忘れているのではないでしょうか‥‥‥子どもたちを可愛い人形と思っているのではないでしょうか。子どもは、大人と同じ人間なのです。大人の持っている欲望を、すべて持っている人間なのです。そこで私は、教育のワクに縛られ、おさえつけらえれている子どもたちの欲望を、思いきり発散して貰うつもりでこの漫画をかきました。(ハレンチ学園第一巻より)
ハレンチ学園には、大人の目から見ると、キチガイのような先生がでてきます。恥知らずで、ムチャクチャにはめをはずします。でも、子供たちの目からみるとキチガイではありません。大人と子供の垣根を越えて、本当にあけっぴろげの心で子供たちに迫ってくるのです。ハレンチ学園の先生たちは、子供たちにとって、人格を無視せずにつきあってくれる友だちなんです。仲間なんです。(ハレンチ学園第二巻より)
両親や先生をはじめとして、大人たちは、子どもに常識をおしつけようとします。しかし、子どもにとって常識いじょうに大切なことがあります。それは、常識やぶりの荒唐無稽な飛躍です。おもちゃから、はては人生までもが、画一化されてしまう現代において、子どもたちには、せめてマンガの世界でだけでも、あばれまくり、おおらかな精神の自由をとりもどしてもらいたい。(ハレンチ学園第三巻より)
外国人による
永井豪評
BY FREDERICK PATTEN
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