若き力「マジンガーZ」
 「ロボットを呼吸していた」というと、大袈裟な言い様になるが、私の子供時代はまさに、そのようなものだった。当時、光文社発行の少年月刊誌「少年」をとっていたからなのだ。
 十数年にわたり「少年」は、手塚治虫先生の「鉄腕アトム」と、横山光輝先生の「鉄人28号」がメインとなっていた。少年マンガ史上におけるロボット物の二大名作“アトム”と“鉄人”。これらを毎日なめるように見ていたからだ。「マンガ=ロボット」というぐらいに、私にとって「ロボット」は、マンガそのものだった。
 そんな私がマンガ家になったのだから、ロボットマンガを描こうとしたのは、当然の成り行きだった。しかし、それまでのロボットと同じではいけない。新しいコンセプトをもった作品にならなければ、全く描く意味がない。第一、自分の好きな“アトム”(人格をもったロボット)と“鉄人”(操縦機によってラジオ・コントロールされる)に対して失礼ではないか。だから、違うロボットが見つかったときに描こう。漠然と、そう考えていた。
 その“ロボット物の新しいコンセプト”が見つかったのは、喫茶店で仕事をした帰り道だった。青信号になったのに、横断歩道が車の渋滞でふさがり、渡れないでいた時だ。車で一杯になった道路を、ボンヤリと眺めていたその時だ。
 「車の底から足が出て、いきなり立ち上がり、前の車を跨いで行ったら面白いのになあ〜」。この思いつきが、キッカケとなった。
 「できる!アトムとも、鉄人とも違うロボットが、できる!」。私の頭の中で、車のように運転できるロボットのイメージが、かけめぐり始めた。
 ダイナミック・プロダクションに帰り、すぐにスケッチブックをひろげ、デザインにかかった。たちまちのうちに、“マジンガーZ”の原型となるデザインが、いくつもできていった。
 ストーリーには全く困らなかった。なにしろロボットマンガでは、描きたいことが山ほどあったのだから。
 こうしてできた、私の初めてのロボットマンガ「マジンガーZ」は、東映動画でアニメ化され、低迷化していたTVアニメ界において、記録的な大ヒットとなった。そして、その後のTVアニメに大きな影響を与え、私のつくったロボットのコンセプト(人間が乗り込み操縦するスタイル)を、真似るロボットアニメが次々と作られることとなった。その数はもはや、数えきれないぐらい多いようだ。
 その後、ヨーロッパに渡った「マジンガーZ」のアニメは、スペインや、イタリアを初めとするヨーロッパ各地において、これまた記録的な大ヒット(スペインでは、視聴率80パーセント)となり、ヨーロッパ各国から雑誌やTVの取材が、日本にいる私のもとに、次々と押しよせるまでになった。
 七、八年前だったか、藤子不二雄先生がイースター島を旅行されたとき、「あんな島まで、TVでマジンガーが放映されていた」と言って驚かれていた。
 現在、アメリカ各州では、「トランザーZ」とタイトルを変えて、TV放映されているようだ。なぜ、マジンガーがトランザーと変わったかというと、アメリカ人にとって「マジンガー」という名称は、ドイツの拳銃を連想させるのだそうだ。一方「トランザー」は、未来的な車なんかを連想させ、ロボットに合っていてカッコいいのだそうだ。(ちなみに「グレンダイザー」はフランスで「ゴルドラック」と名を変え、大ヒットしている。こちらも視聴率70パーセント以上を常にマーク。十数年にわたって、再放送が繰り返されている)
 一昨年、メキシコに旅行してきたアメリカ人の友達から、手紙が来た。「マジンガーZが今、メキシコで大ヒットしている」と書かれていた。強いロボットを操縦したいという子供の夢は、世界共通なのかもしれない。
 このように、世界中に行き渡った感のあるアニメ版「マジンガーZ」だが、私が描いた原作のコミックの方はというと、読者の人気は得られたものの、現在でも自分自身では満足していない。
 というのも、当時の私の忙しさは、まさしく“殺人的スケジュール”といったもので、できあがった原稿を見直す余裕どころか、前もって考えることさえできない有様だった。いきなり原稿に向かい、ほとんど即興のように描きまくっていた。
 そんなぐあいだから、絵も、デッサンの狂いなんかも気にするヒマがなく、殴り描きに次ぐ殴り描きを重ね、ひたすら締め切りに間に合わせていた状態だった。
 それでも、エネルギーだけはとてつもなくあった。“若さ”と“大好きなロボットマンガを描ける”という、喜びのエネルギーに満ちあふれていた。
 今回、この「マジンガーZ」が、千ページ以上の大単行本になることとなり、「週刊少年ジャンプ」に連載されたものを中心に、まとめ直してみた。それも、ほぼ、ジャンプに連載された当時の順番にあわせて作ってみた。できあがったものは、「とてもうれしくもあり、ちょっぴり恥ずかしくもあり」であった。
 「うれしさ」とは、当時の自分の若さが描かせた作品と再び出会う、ノスタルジックな楽しさ、愛着。「恥ずかしさ」というのは、私にとって未完成品という気がすることなのだ。この愛蔵版を機会に、ぜひもい一度、自分自身が納得のいく、「マジンガーZ」を、描いてみたいと思っている。
1989年3月
「中公愛蔵版 マジンガーZ」著者まえがきより

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