永井豪天才マンガ家の作り方教えます! 永井豪、初の自伝的エッセイ 豪氏力研究所

永井豪と愉快な仲間(3)〜手塚治虫先生の思い出〜 手塚先生には、「結婚式をすっぽかす」という、非常に困ったクセがあったのだ。どうやら、他人の幸せにジェラシーを感じるタチだったらしい。すっぽかし事件の中で、一番ものすごいケースは、故・石ノ森章太郎先生の結婚式だ。なにしろ、手塚先生は石ノ森先生の「仲人」だったのだから……。


仲人が来ない!
 マンガ家になって、子供の頃に憧れていた多くの先輩方に会うができたけれど、なんといっても嬉しかったのは、手塚治虫先生とお会いできたことだ。何しろ、僕が最初に読んだマンガが手塚先生の作品だし、手塚先生の作品を読んで育って、マンガ家になろうと決めたのだから、特別な人なのだ。僕にとっては、「神様」みたいなものだ。でも、ここはもっと親しみを込めて「マンガのお父さん」と呼ばせていただこう。最初に手塚先生とお会いしたのは、何かのパーティーの席だったと思うけれど、思いっ切り緊張していたので、何を喋ったか覚えていない。でも「ああ、ついにあの手塚先生に会えた!」と感激したことは、よく覚えている。

 手塚先生の作品の偉大さと、その膨大な数については、今さら言うまでもない。それに加えて、気取りのないやさしい人柄で、手塚先生は他のマンガ家みんなから敬愛されていた。けれどご本人は、あれほどの実績と評価があるというのに、他のマンガ家に対して本気でライバル意識を燃やしていた。人気アンケートの結果が悪いと落ち込んだり、売れている他のマンガ家を気にしたり。そういうところがまた、手塚先生のすごいところだった。

 そして、そういう性格のおかげで、ちょっとおかしなエピソードも残っている。手塚先生には、「結婚式をすっぽかす」という、非常に困ったクセがあったのだ。どうやら、他人の幸せにジェラシーを感じるタチだったらしい。すっぽかし事件の中で、一番ものすごいケースは、故・石ノ森章太郎先生の結婚式だ。なにしろ、手塚先生は石ノ森先生の「仲人」だったのだから……。結局その日は、仲人が来なかったために結婚式は中止となり、後日あらためてやり直したそうだ。僕が石ノ森先生に聞いた話だから、間違いない。

 と、そこまではまだ他人事だったけれど、やがて自分も結婚することになった。まだご挨拶をするくらいの関係だったけれど、尊敬する手塚先生を、披露宴にご招待しないわけにはいかない。でも、石ノ森先生の話を聞いていたので、「ひょっとしたら……」と心の準備をした上で、手塚先生に招待状を出した。もちろん仲人は、他の方にお願いしていた。そして、僕の結婚式当日。手塚先生は……来なかった。後で聞いた話によると、手塚先生のマネージャーさんが「今日は豪ちゃんの結婚式ですよ? 行かないんですか?」と何度も言ってくれたらしい。でも、先生は「うん、うん」と生返事をして、ずっと仕事をしていたのだそうだ。

 でも、そんな手塚先生も、結婚式をすっぽかしたあとは、いつも急に「悪かった!」という気持ちになっていたらしい。僕の結婚式の数日後、先生は「ごめんね、ごめんね」と電話をくれて、お詫びだと言って、僕たち夫婦を高級ホテルのレストランに招待してくれた。「神様」と同じテーブルで食事をすることになった僕は、緊張するやら嬉しいやらで、ポーッとしてほとんど喋ることができず、もっぱらウチの奥さんが手塚先生とお話していた。僕がトイレに立った時に、手塚先生はウチの奥さんに、「豪ちゃん、黙っているけど、やっぱり怒っているのかな……?」とコッソリ聞いていたらしい。後日、披露宴に呼べなかった人たちのために、もう1回結婚パーティーをやった時には、ちゃんと手塚先生も来てくれた。


ベレー帽の中身を見た!
image
手塚先生との記念写真は、全部宝物だ。
 それ以前から、パーティーやサイン会など、手塚先生とはいろんな所にご一緒させてもらった。手塚先生を団長にして、十数人でサンディエゴのコミック・コンベンションに行ったときのこと。手塚先生が「ドナルド・ダックの原作者に会いに行かない?」と僕を誘ってくれた。その人は、ディズニーに版権を売ってしまったので、今は貧乏でトレーラーハウスに住んでいるとかで、手塚先生は昔からその人に会うのが夢だったらしい。でも僕は、ドナルド・ダックに特に思い入れもなかったので、辞退してマンガ評論家の小野耕世さんたちと遊びに出かけた。

 その帰り、「手塚先生は来なかったね」と小野さんが言うので、「ドナルド・ダックの原作者に会いに行くと言ってましたよ」とうっかり答えたら、小野さんが「なにーっ!」と目を剥いた。小野さんは、のちに『ドナルド・ダックの世界像―ディズニーにみるアメリカの夢』という本を書いたくらいの、ドナルド・ダック好きだったのだ。さあ大変と、僕が手塚先生に耳打ちすると、「えーっ! 喋っちゃったの! 小野さんには内緒だったのに」と、僕をとがめるような顔をする。聞けばその原作者の人は、マンガ評論家という人種が嫌いだったらしい。手塚先生は仕方なく、何か理由をつけて、小野さんを連れてまたその人に会いに行ったそうだ。そういう大事なことは、早く言ってくれないと。

 サンディエゴでは、こんなこともあった。映画館で、まだ日本では公開前の『未知との遭遇 特別編』をやっていたので、みんなで観に行こうということになった。手塚先生も誘おうと、僕がホテルの先生の部屋をのぞくと、先生はなんと、『ブッダ』の原稿を描いていた。僕は「大変でしょうから、手伝わせてください」と申し出たのだけれど、「いや、いいです、いいです。アメリカを思いっ切り楽しんでください」と、先生は一人で描き続けた。このとき無理矢理でもお手伝いしなかったことを、僕はのちのちすごく後悔した。というのは、その後手塚先生の原稿を手伝うチャンスは、二度とやってこなかったからだ。

 ところで、手塚先生というとベレー帽がトレードマークだった。それこそ、寝るとき以外は常に被っていたので、ベレー帽を被ってない姿を見たことのある人は、ほとんどいない。そのせいで、手塚先生のアタマに関してはいろんな噂が飛び交っていた。ところが僕は、SF作家クラブで熱海に行ったとき、とうとうベレー帽の中身を見ることができたのだ。どんなだったかって? 一緒にいたSF作家全員が、最初その人が誰だか全然わからなかった、ということで、想像してくれませんか。


<第60回/おわり>

(c)永井豪/ダイナミックプロダクション2002-2003
(c)Go Nagai/Dynamic Production Co., Ltd. 2002-2003



永井豪(ながい・ごう)
1945年9月6日、石川県輪島市に生まれる。石ノ森章太郎氏のアシスタントを経て、'67年『目明しポリ吉』でデビュー。'68年『ハレンチ学園』を連載開始、たちまち大人気を博し、以後現在に至るまで、幅広いジャンルの作品を大量に執筆し続けている。代表作は『デビルマン』『マジンガーZ』 『凄ノ王』『キューティーハニー』など多数。


永井豪×夢枕獏 対談

永井豪×水木しげる 対談

永井豪×モンキー・パンチ 対談

豪氏力研究所  りてる


講談社は、インターネット及びイントラネット上において、閲覧者が当社の出版物及び当サイト上の画像を以下の行為に使用することを禁止しております。
  • 出版物の装丁及び見開きなどの画像の全体または一部を掲載すること。
  • 出版物の内容及び目次などの全体または一部を掲載すること。
  • 出版物の要約及び出版物を元に制作した小説などを掲載すること。
  • キャラクターの画像及び写真などの全体または一部を掲載すること。
  • キャラクターの自作画(イラスト・パロディなど)を掲載すること。
  • 出版物やキャラクター(自作画を含む)フリーソフトやアイコ ン、壁紙などに加工して掲載すること。
  • 当サイトの内容(画像・データソース)の全体または一部を掲載 すること。
以上の行為は営利非営利の目的いかんに関わらず著作権等の権利侵 害となります(著作権法23条、同条21条。公衆送信権。複製権。その他)。 守っていただけない方には法的手段を講じることも ありますので、ご注意ください。

Copyright(C) 2002-2003 KODANSHA CO.,LTD.ALL RIGHTS RESERVED.
webgendai