永井豪天才マンガ家の作り方教えます! 永井豪、初の自伝的エッセイ 豪氏力研究所

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『ハレンチ学園』騒動(2) 教師やPTAといった、大人からの攻撃が激しくなるのと逆に、読者である子供の読者からのファンレターは、どんどん増える一方だった。「もっとやってください!」「大人はズルイ! がんばれ!」というものや、中には「大人は自分でエッチなことしているのを、僕らは知っているぞ!」というものもあった。この山のように来るファンレターが、僕にとって何よりの励みとなった。


学校、テレビでつるし上げに
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『ハレンチ学園』を特集したTV番組に出演した永井豪氏。
 ある日、あるマスコミが、僕の担当編集者に『ハレンチ学園』についてのコメントを求めてきた。すると彼は、こう喋った。「あれはマンガ家が勝手にやったことで、編集部が狙ってやっているわけじゃない」。この編集者のコメントを知った時、さすがに僕は完全に頭にきた。「やろうやろうって言ったのは、あんたじゃないか!」。彼としては、僕がどのくらいの覚悟で作品を描いているか、知らなかったのだろう。でも、最大の味方であるはずの、担当編集者のこのコメントには、大きく裏切られた気持ちがした。大喧嘩の挙げ句、結局、ここで担当者が変わることになった。だが、僕は誰が担当者だろうと、方向転換することは全く考えていなかった。

 雑誌以外にも、テレビも全局がワイドショーで取り上げるようになった。僕も毎回引っぱり出されてはつるし上げを食った。でもテレビから出演要請があると、僕は自分から進んでそういう番組に出た。なぜかというと、僕をイジメて毒抜きしてもらったほうがいいと考えたのだ。下手に欲求不満にさせると、抗議の対象が『少年ジャンプ』に向かって、雑誌を潰せという方向へ発展しないようにしたかったのだ。意外なことに、マスコミで一番好意的だったのはNHKだった。民放では、カバゴン(教育評論家の阿倍進氏の愛称)が司会の番組で、僕の味方になってくれた。だが、ほとんどのマスコミは、「こんな俗悪マンガを許していいのか」という論調だった。

 マスコミの扱いもそうだが、特にひどかったのは、学校の教師とPTAから編集部に来る抗議だった。僕は、まるで犯罪者のような言われ方をした。日本中のいろんな学校から、「どういうつもりであんなものを描いているのか、出向いて説明しろ!」と呼び出しを食い、そのつど編集長やマネージャーである兄・泰宇が話し合いに行った。さすがに僕が全部の学校を回ることはできなかったからだ。その頃、僕の中学校の同級生で教師になっている女性がいたが、その人からも抗議の手紙が来た。「ホームルームで議題に挙げて、生徒と一緒に抗議することにした」と書いてあった。手紙を見て、すぐに同級生だとわかったから、これはちょっとショックだった。

 最近になってクラス会があり、その女性と再会した僕は「あの頃、抗議の手紙を書いてきたよね」と話しかけた。返事は「そうなんですよ、あの頃は大学を出たばかりで、頭も凝り固まっていて、視野も狭くて」とのことだった。僕は中学生の時、大人しくて真面目だったので、「まさか、あの人が」というショックもあったようだ。彼女には、もうなんの怨みもないけれど、とにかく同級生が抗議してくるくらい、僕は誰もが認める「堂々と非難していい人物」だったのだ。


「スカートめくり」は1回だけだった
 教師やPTAといった、大人からの攻撃が激しくなるのと逆に、読者である子供の読者からのファンレターは、どんどん増える一方だった。「もっとやってください!」「大人はズルイ! がんばれ!」というものや、中には「大人は自分でエッチなことしているのを、僕らは知っているぞ!」というものもあった。この山のように来るファンレターが、僕にとって何よりの励みとなった。僕は、子供の気持ちの代弁者になるしかない、どんどんハダカを見せてやろうと思った。ストーリーにも工夫を凝らし、ハダカが出る必然性のあるストーリーを考えた。ここは突発的な事故で、とか、悪い先生がこんなことするから、とか。

 そういう中で描いたのが「スカートめくり」だった。当時を知らない人のために書いておくと、当時テレビで流行っていたCMのパロディーだ。小川ローザさんというハーフのモデルさんが出演していて、風で彼女のスカートがまくれ上がって「オー! モーレツ!」と台詞が入るという、全国のお父さんが鼻の下を伸ばしていたアレだ。マンガの中では、十兵衛(柳生みつ子という女の子のあだ名)が山岸くんたちに、CMの真似をしてスカートをめくられる。これを描いたら、アッという間に日本中の学校で「スカートめくり」が大流行することになった。そして僕は、今度は「スカートめくりという、とんでもない遊びを流行らせた人物」ということになった。CMでやっていることなのに。

 実は、この「スカートめくり」だけれど、僕は『ハレンチ学園』の中で1回しか描いてないのだ。なのに、その1回を描いて以後は、「スカートめくり」が『ハレンチ学園』の象徴のようになり、何かというと槍玉に挙げられた。よほどインパクトが強かったのだろう。十兵衛がパンツを穿き忘れていた、という設定にしちゃったのが原因かもしれないけれど。

 当時の小中学生も、今ではいい大人になっている。出版社で年下の編集者に会うと「僕もスカートめくり、やりました!」と教えてくれたりする。中には、そのせいで先生に校庭のポールに縛り付けられた、という人もいたが、一体何人の女の子のスカートをめくったのだろう。僕自身は、残念ながら一度も「スカートめくり」をやったことがない。僕も、一度でいいからやってみたかった。僕が子供の頃に、こういうマンガが流行っていたらよかったのに。

『ハレンチ学園』は、途中で中断はあるものの、1972年の9月まで4年ちょっとの長期連載となった。連載の最後では、ストーリーが違う方向にどんどん変わっていったので、騒ぎはいつしか沈静化していったものの、われながら日本中からの攻撃に耐えて、よく頑張ったと思う。

 ところで、最近になって思うのだけれど、バッシングの先頭に立っていた当時の学校の教師たちは、本当に「エッチだから、子供の教育上よろしくない」という理由で『ハレンチ学園』を攻撃したのだろうか。僕は、どうもそうではなかったような気がする。僕が考える、本当の『ハレンチ学園』バッシングの理由、それは次回書くことにしたい。

<第21回/おわり>

(c)永井豪/ダイナミックプロダクション2002-2003
(c)Go Nagai/Dynamic Production Co., Ltd. 2002-2003



永井豪(ながい・ごう)
1945年9月6日、石川県輪島市に生まれる。石ノ森章太郎氏のアシスタントを経て、'67年『目明しポリ吉』でデビュー。'68年『ハレンチ学園』を連載開始、たちまち大人気を博し、以後現在に至るまで、幅広いジャンルの作品を大量に執筆し続けている。代表作は『デビルマン』『マジンガーZ』 『凄ノ王』『キューティーハニー』など多数。


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