永井豪天才マンガ家の作り方教えます! 永井豪、初の自伝的エッセイ 豪氏力研究所

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『ハレンチ学園』騒動(1) 『ハレンチ学園』は、最初はそんなにエッチなマンガでもなかったのだが、ある時、ちょっとエッチな内容だった回に、読者が編集部に文句を言ってきたことがあった。「ハハーン、狙い目はココだな」と思った僕は、さらにエッチ度をエスカレートさせた。読者は大喜びで、人気はどんどん急上昇。そしてその一方で、ふと気がつくと、いつの間にか抗議の声がかなり大きくなっていた。


角南さんとの出会い
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日本中に大騒動を巻き起こした時、
デビューからまだ数ヵ月だった。 
『ハレンチ学園』は、『少年ジャンプ』の創刊号に載った読み切り作品からのちに連載化されたもので、僕の出世作ともいえる作品だ。連載当時の騒動については、ちょっと待っていただいて、先にある編集者の話をしよう。それは、集英社の名物編集者・角南攻(すなみ・おさむ)さんだ。マンガファンの間では、『トイレット博士』(とりいかずよし氏)のスナミ先生のモデルと言えば、ああ、という人も多いだろう。

 彼が突然僕の仕事場に飛び込んで来たのは、デビュー半年目くらいのことだった。自己紹介もせずに、いきなりマンガとは全く関係のない、ゲテモノ食いの話を始めた。「生きたスズメを両手で揉むと、ケツからウンコとかゾーモツが出てくるんだよ。これを温かいゴハンにかけて食べるとウマイんだぞ!」などと、独りでずっと喋っている。僕があっけにとられていると「あ、名刺名刺。『少年ブック』の編集です」と、ようやく角南さんは挨拶をしてくれた。『少年ブック』というのは、当時集英社から出ていた漫画雑誌だ。そのままひとしきり世間話をしたあと、今度『少年ブック』から増刊が出ると言う。読み切り作品を試しながら、評判のいいものを連載にして、新雑誌として独立させたいらしい。僕のところへも、その読み切りを依頼しに来たのだ。その増刊が『少年ジャンプ』で、僕は創刊号に読み切りを描くことになった。これが『ハレンチ学園』だ。

 角南さんとはウマがあったので、その後も何回も一緒に仕事をした。『少年ブック』の休刊が決まった時は、「どうせなくなる雑誌だから、無茶苦茶なマンガをたくさんやりたいんだよね」と言うので、うんと無茶苦茶な読み切りを4本描き、その後彼が『ジョーカー』というマンガ雑誌に移ってからも、5本の読み切りギャグを描いた。角南さんは『ジョーカー』のあと『少年ジャンプ』へと異動になり、その後『ヤングジャンプ』の編集長を務めた。

 そういうわけで、1968年、『少年ジャンプ』の創刊号に描いた『ハレンチ学園』だが、実は、当時の編集長は『ハレンチ学園』の原稿を読んだときに、どこが面白いのかよくわからず、「なんじゃこりゃ?」と思ったらしい。しかし、『少年マガジン』『少年サンデー』の後発で創刊した『少年ジャンプ』は、有名作家を集めることができず、新人作家主体でいくしかないと、腹をくくらざるをえなかった。だから、僕についても「ヘンなヤツに描かせちゃったなあ……でも他にいないから、しようがないか」と諦めて掲載したらしい。しかし、『ハレンチ学園』は、読者の人気アンケートで1位になった。そこで「こいつをもっと使わなきゃ損だ」ということで、年末に出る新年号から連載化することになった。全て、読者のおかげだ。


バッシングが始まった!
『少年マガジン』と違って『少年ジャンプ』では、編集者からタブーだからダメだと言われたことはなかった。それは新雑誌らしい進取の気性というより、後発の苦しい作家事情のため、そこまで考えていられなかった、というのが正直な所だろう。ただ、1回だけ描き直しを求められたことがあった。『ハレンチ学園』の記念すべき第1話めとなる読み切りでのことだ。登場する先生の一人を、僕は最初、下半身網タイツのハイヒール姿に描いた。この人物が気持ち悪すぎるので、何とかしてくれと言われたのだ。確かに網タイツの股間はモッコリしているし、タイツの網目からはすね毛がはみ出し、しかもハイヒールを履いているのだから、気持ち悪い。でもそこが面白いのだからと僕は抵抗したが、「編集長がどうしてもと言うんだよ、頼む頼む頼む!」と拝み倒されて、やむなく描き直すことにした。

 僕はその人物を、フンドシに裸足という格好にすることにしたが、どうも面白くない。それでフンドシに「丸越デパート」とイタズラ書きした。もちろん三越デパートのパロディーだ。さらに、ご丁寧にCMソングの替え歌まで歌わせた。これが、丸越先生であることはいうまでもない。丸越先生のこの異様な格好は、妥協の中、精一杯の工夫から生まれたのだ。これにはさらに後日談がある。『ハレンチ学園』の連載が終わってかなりたってから、僕が新潟に行った時のこと。僕はある駅前のビルを指して、思わず「あ──っ!!」と声を上げた。なんと、駅前に「丸越デパート」という名前のデパートが、実際にあるではないか。「丸越デパートって、本当にあるの?」「昔からありますよ」「……」。よく本物の丸越デパートから、苦情が来なかったものだ。

 さて、『ハレンチ学園』は、最初はそんなにエッチなマンガでもなかったのだが、ある時、ちょっとエッチな内容だった回に、読者が編集部に文句を言ってきたことがあった。「ハハーン、狙い目はココだな」と思った僕は、さらにエッチ度をエスカレートさせた。読者は大喜びで、人気はどんどん急上昇。そしてその一方で、ふと気がつくと、いつの間にか抗議の声がかなり大きくなっていた。ある日担当編集者がやってきて、「なんか、『ジャンプ』の発売を禁止しろとか言って来てるよ」と言う。「えー? どうして?」と聞くと、エッチなのがいけないらしい、とのこと。そんなバカな話はないと思ったので、「じゃ、もっとやりましょうよ」と言ったら、担当者も「やろうやろう」とノってきた。彼もこの時はまだ余裕があったのだ。

 だが、ついに『少年ジャンプ』編集部に、マスコミの取材が来るようになった。つまり、『ハレンチ学園』の存在が社会問題化していたのだ。世間の風当たりの強さに腰が引けたのか、担当者が急に「エッチ路線をやめよう」と言い出した。僕は、怒った。前にも書いたけれど、僕はマンガを「命と引き換え」「死んでも作品を残す」という覚悟で描いている。どんなにマンガが問題視されても、死刑になることはないだろう、殺されなきゃいいや、と真剣に思っていた。騒ぎになればなるほど、人の記憶に残る。それに読者は、『ハレンチ学園』を強烈に支持してくれていた。だから僕は、路線変更するつもりは全くなかった。どんどん描いた。“『ハレンチ学園』バッシング”は、さらに大きくなっていった。

<第20回/おわり>

(c)永井豪/ダイナミックプロダクション2002
(c)Go Nagai/Dynamic Production Co., Ltd. 2002



永井豪(ながい・ごう)
1945年9月6日、石川県輪島市に生まれる。石ノ森章太郎氏のアシスタントを経て、'67年『目明しポリ吉』でデビュー。'68年『ハレンチ学園』を連載開始、たちまち大人気を博し、以後現在に至るまで、幅広いジャンルの作品を大量に執筆し続けている。代表作は『デビルマン』『マジンガーZ』 『凄ノ王』『キューティーハニー』など多数。


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