ダンテ神曲
STORY  14世紀が生んだ長編叙情詩で古典名作の最高傑作、ダンテ『神曲』を永井豪が描き下ろした。この物語は今からおよそ600年前、イタリアの商業都市フィレンツェを舞台に始まる。対立していた黒派との政治抗争に破れた白派のリーダー・ダンテは、フィレンツェを永久追放され、森にのがれ、追っ手から身を守ることができた。しかし、だれ一人生きて出られることのなかった森を抜け出たダンテに、再び新たな試練が‥‥。
先に進むことも、戻ることもかなわず困窮しているダンテの前に、突然ローマの詩人ヴィルギリウスが現れ、ダンテに地獄への旅を勧める。生者が地獄を見る、正に地獄のようなダンテの旅がここから始まった。

描き下ろしコミック版 全3巻 (講談社・コミックス) 1994
地獄編 上巻
フィレンツェの黒き森
ベアトリーチェ
地獄門
第1の圏
第2の圏
第3の圏
第4の圏
第5の圏
第6の圏
地獄編 下巻
コキュートスの風
第7の圏
第8の圏
第9の圏
最下層コキュートス
浄罪編
浄罪への旅立ち
第一の高台
第二の高台
煉獄前夜
煉獄の門
煉獄界 第一円
煉獄界 第二円
第三円 怒りの谷
第四円 走る人
第五円 なげき人
第六円 誘惑の果実
第七円 浄罪の炎
楽園
天国編
幻想の黙示録
天国への旅立ち
第一天 月星天
第二天 水星天
第三天 金星天
第四天 太陽天
第五天 火星天
第六天 木星天
第七天 土星天
光の中へ

講談社漫画文庫 全2巻 (講談社・コミックス) 1998.5.12

「神曲への道」 永井豪
 私がダンテの『神曲』に出会ったのは、ようやく字が読めるようになった頃のことだった。我が家には、子供用に書かれた、子供文庫「ダンテの神曲物語」なる本が、何時ごろからか、存在していたのだ。
 子供文庫とは言っても、その本は相当な年代物で、文字も、旧カナ遣いのとても読みにくいものであったが、中に使われていた何枚かの挿し絵に目を奪われ、それを理解したいがために、私は、難しい文章に挑戦したのだった。
 その挿し絵は、19世紀の天才的版画家、ギュスターヴ・ドレの作品であった。もっとも、作者がドレであると知ったのは、後年のことであるが、その緻密さを極めるドレの手法に、子供ながらに強烈なインパクトを覚え、魅了されてしまった。
 その中でも私は、「地獄編」の絵に、ことさら惹かれていたように思う。
 子供文庫に挿入されていたドレの作品の枚数はとても少なかったが、子供時代の私に、「今見えている、この現実以外の世界が存在する」ことを認識させ、その世界に想像の翼を羽ばたかせるには充分で、その体験は、大人になってから『神曲』の全貌に触れた時の喜びを、大きなものにしたのであった。
 こうして、幼い時にダンテの『神曲』を幾度となく読み返した私にとって、「天国」や「地獄」は、しっかりとしたイメージをともなった、リアルな世界となっていった。
 その後、宗教にのめり込むようなことはなかったが、本来ムチャクチャな性格の私が、「悪いことは絶対にしまい」と心に誓い、まともに生きてこられたのは、少年時代に『神曲』に触れられたことが大きかったのかもしれない。また、マンガ家として、自分の作品上に、イマジネーションを大きく膨らませてきかれるのも、少年期にこうした幻想の世界を我が物にできたことが、大きく作用していると思う。
 これだけ大きな影響を私に与えてきたダンテの『神曲』だが、私は何時ごろからか、ドレの絵の世界を動かして、マンガ化してみたいと思うようになっていた。いつしかそれは、私の中で目標のようなものになっていた。
 そしてこのたび、(株)コミックスの編集部より、「ダンテの『神曲』を描いてみませんか」との依頼を受けた時には、長年の夢が叶う喜びと、「ついに来たか」という運命的な思いに、とても緊張してしまった。
 ダンテの『神曲』を描くなら、偉大な天才画家ドレが築き上げた世界観を、壊すことなく描いてみたい。私は、愛するドレの絵にこだわった。一枚づつ止まりの絵であるドレの絵を、マンガという手法を用いて動かし、物語を展開していくことが可能なのではないか。また、そうではなくては、私が描く意味がないと思う。
 私の言葉に編集者は頷き、『神曲』のマンガ化はスターとした。さて、描くことが決まってからの私のプレッシャーは、大変なものであった。
 果たして、ドレの木版画のイメージを、500ページものマンガ原稿に、描き切ることができるものだろうか?背景は、アシスタント達にハッパをかけるとしても、人物にかかるたくさんの線を、一人で描き通すことができるだろうか?当然のことながら、締め切りもある。
 何はともあれ、1ページづつ描いてみるしかない。毎日少しづつでも前に進むしかない。自分に言い聞かせて描き始めた。1993年6月のことだった。
 私の場合、主人公にノレルかどうかが、作品に大きく影響するのだが、ダンテの心の動きは、その時の心境にピッタリはまったようだった。
 これは描ける。恐れることはない。自分の人生の中で、今というこの時が、ダンテになり切る絶好の機会に違いない、と確信した。私は、『神曲』に夢中になった。少年の日に夢中になったのと同じくらい、再びこの物語に没頭した。関わり方に違いがあるとしたら、「読む」と「描く」という点だけであった。
『神曲』を描いてみて、あらためて感心したのは、この作品が、エンターテイメントとして、実に面白い構成になっていることだった。詩人ダンテは、現代にも通じる優れた劇作家であるのだ。
 基本的には、私が構成し直す必要はまったく無かったが、現代の読者には説明不足と思える部分を補い、ダンテのベアトリーチェへの思いを強調し、愛の物語として描くことにした。
 ―――とはいえ、大きな確執があったことも事実だ。ダンテと私とは、生まれた時代も国も違う。当然のことながらそこには、宗教観やモラル観に、隔たりが出てきてしまう。
 何しろ、私はキリスト教徒ではなく、平均的日本人である。神社に初もうでし、おみくじを引き、先祖の供養はお坊さんに頼み、クリスマスにはツリーを飾りご馳走で祝う。
 当然、原作の中に、私には納得できないシーンが多く出てきた。一番苦しかったのは、ダンテがキリスト教以外の宗教を、一方的に「悪」と決めつけていることであった。
 そこはそのまま、原作に忠実に描きながらも、実は作者(私)の心情が、ダンテに批判的なことが、読者の方々に分かるように描いたつもりだ。異教徒というだけで、地獄の業火に焼かれるシーンなどがあるが、当時のキリスト教の、他宗教に対するこの激しさが、後の魔女狩り旋風へと発展したのかもしれない。
 それから、サタンに関しては、ドレの他の作品『聖書』の「ヨハネの黙示録」と、ミルトンの『失楽園』より引用したことを、ここにお断りしておく。
 この作品を描くにあたり、ドレの原画の収集家であり、『神曲』の翻訳家でもある、谷口江里也氏にお会いし、お話を伺うことができた。谷口氏から「文化とは、積み重ねであるから、思いっ切り、ご自分の『神曲』にされると良いですよ」というお言葉を戴き、迷うことなく、自分のダンテの『神曲』をつくることができた。
 考えてみれば、ドレにしても、ダンテの『神曲』を「絵」にして見せはしたが、それはダンテの詩、文章から受けたイメージを、ドレなりの解釈で具象化したに過ぎないのだ。実際にダンテがイメージしていた世界とは、違っていたのかも知れない。
 そのドレの止まり絵を動かし、絵と絵の間にある世界をマンガという手法で表現し、物語にまとめた私のこの作品も、やはり、ドレの描いたイメージとは、違ったものになっていると思う。
 この作品は、あくまでも、永井豪版「ダンテの『神曲』地獄編」なのである。
(1994年6月5日 記)
「ダンテ神曲 地獄編」 上巻 著者あとがきより

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